大宮・村山口登山道

大宮町を起点とし、村山を経て山頂に向かうことから大宮・村山口登山道と呼ばれる。1906年(明治39年)に新大宮口が拓かれるまで用いられていた。
歴史的には村山口・大宮口の両方が称されてきた事実がある
吉原宿から村山へ向かう道者が多かったことから、その経路に「村山道」や「むら山道」と記された石碑が確認されている。
須山浅間神社

須山口は1707年の宝永大噴火で甚大な被害を被り、一部ルートの変更を余儀なくされ、完全に復興するに至ったのは1780年のことであった。登山道や周辺の宗教施設も須山浅間神社が管理を行っていた。現在の社殿は1823年に再建されたものである。社伝では神代に創建されたと伝わるが、遅くても1524年には存在していたことが確認されている。


大きな地図で見る

須走口登山道

冨士浅間神社を起点とし、八合目で吉田口登山道と合流し山頂東部に至る新五合目の標高は約2000mの登山道です。
静岡県側(小山町内)の富士山東側から山頂を目指すスタート地点です。
資産の範囲は、五合目以上です。



須走浅間神社

東口本宮冨士浅間神社(ひがしぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)は、静岡県駿東郡小山町須走にある神社。旧社格は県社。 全国にある浅間神社の一社。富士山須走口登山道の起点に鎮座し、正式名称は冨士浅間神社で、須走浅間神社(すばしりせんげんじんじゃ)とも称される。
延暦21年(802年)、富士山東麓が噴火をしたため、須走に斎場を設け祭事を行い鎮火の祈願を行った。それにより噴火が収まったため、大同2年(807年)に鎮火祭の跡地に社殿を造営したと伝えられている。



大きな地図で見る

三保の松原

平安時代から親しまれている三保半島の東側に広がる景勝地である。総延長7km、5万4000本の松林が生い茂る海浜と、駿河湾を挟んで望む富士山や伊豆半島の美しい眺めで有名。

三保半島は、安倍川から海へと流された土砂が太平洋の荒波に運ばれ、日本平を擁する有度山を削りながら出来た砂嘴である。何百年にわたり流された土砂(漂砂)が静岡海岸、さらには清水海岸に幅百mを超える砂浜を作り、現在の清水港を囲む三保半島、および三保の松原の砂浜を形成した。
羽衣伝説の舞台でもあり、浜には天女が舞い降りて羽衣をかけたとされる「羽衣の松」があり、付近の御穂神社(みほじんじゃ)には羽衣の切れ端が保存されている。羽衣の松には毎年元旦の朝に大勢の人々が集い、伊豆半島の山々から昇る初日の出を拝んでいる。


大きな地図で見る
白糸の滝


隣接する音止めの滝と共に、著名な観光地の1つとして知られ日本の滝百選にも選ばれている。国の名勝、天然記念物。
上流に川から流れる滝と、富士山の雪解け水が溶岩断層から湧き出す無数の滝が並んでいる。水量は毎秒1.5トン。幅200メートル、高さ20メートルの崖から絹糸を垂らしたように流れる様子からこの名がある。

白糸の滝 白糸の滝

大きな地図で見る
村山浅間神社

村山は、富士山における修験道の中心地であり、明治時代の廃仏毀釈運動により廃されるまで、興法寺という寺院があった。 鎌倉時代には、末代上人に関連する修行者により寺院が成立したと考えられ、村山には正嘉3年(1259)の銘がある大日如来坐像が伝わっている。文明18年(1486)には聖護院門跡道興の来訪があり、この頃には本山派に加わるようになったと考えられる。戦国時代初めには、今川氏の庇護を受け、修験者や道者が集まり、周辺には坊が建ち並んでいたと考えられている。
16世紀作とされる「絹本著色富士曼荼羅図」には、興法寺で諸堂を礼拝したり垢離をとったりする道者の姿が見える。また、興法寺周辺(元村山集落)は周囲の集落より一段高い場所に位置し、戦国時代には東西の見附で出入りを取り締まっていた。 近世には、村山三坊(池西坊・辻之坊・大鏡坊)が興法寺や集落とともに、大宮・村山口登拝道や山頂の大日堂を管理した。近世の村山は、興法寺を中心とする、修験者や門前百姓の住む修験集落だった。登山期には、三坊の免許を受けた各地(主に富士川以西畿内まで)の先達が、道者を連れて村山を訪れた。また、元禄年間に、幕府の寄進を受け、現在の境内の基礎が整えられたと考えられている。
 明治初年の神仏分離令により、三坊の修験者は還俗し、興法寺は廃され、興法寺の中心的堂社であった浅間神社と大日堂は分離された。また、大棟梁(だいとうりょう)権現社(ごんげんしゃ)は廃され場所を変え高嶺総鎮守として祀られた。明治39年(1906)の登山新道の開削により、登山道から外れた。なお、修験道は明治5年(1872)に禁止されたが、村山の法印(ほうえん)(修験者)の活動は1940年代まで続けられた。

村山浅間神社 村山浅間神社 murayama002.jpg


大きな地図で見る
富士宮浅間大社

「富士本宮浅間社記」によれば、第7代孝霊天皇の御代、富士山が大噴火をしたため、周辺住民は離散し、荒れ果てた状態が長期に及んだとあります。第11代垂仁天皇はこれを憂い、その3年(前27)に浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮められました。これが当大社の起源です。
 その後は姫神の水徳をもって噴火が静まり、平穏な日々が送れるようになったと伝えられています。この偉大な御神徳は、万人の知るところとなり、篤い崇敬を集める事となりました。また、富士山を鎮めるため浅間大神をお祀りしたのは当大社が最初であり、全国にある浅間神社の起源ともなっています。

富士宮浅間大社 富士宮浅間大社 富士宮浅間大社 富士宮浅間大社
大きな地図で見る
音止めの滝
   

芝川本流の落差約25メートルの名瀑である。豪快で雄雄しい滝であり、白糸の滝とは対照的である。付近には曽我兄弟の隠れ岩、工藤祐経の墓、源頼朝が鬢の乱れを直したという泉がある。
音止めの滝の名前の由来は、かつて源頼朝が挙行した富士の巻狩りの際に、曾我祐成・時致兄弟が父の仇である工藤祐経を討とうとした、その密議をしていたが滝の轟音で話が聞き取れない、そこで神に念じたところ、たちどころに滝の音が止んだという伝説による。曾我兄弟は見事に本懐を遂げた。



大きな地図で見る
山宮浅間神社

山宮浅間神社(やまみやせんげんじんじゃ)は、静岡県富士宮市にある神社。旧社格は村社。神紋は「丸に棕櫚の葉」。
全国にある浅間神社の一社で、富士山本宮浅間大社の元宮・山宮(元摂社)である。「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。

山宮浅間神社 山宮浅間神社 山宮浅間神社

大きな地図で見る
海抜0mから富士登山
宝永山トレッキング
構成資産とは?